仲間意識と向上心

正直に自分の気持ちを言うと、大半は「非協力者」として
扱われる。波風を立てず静観している方が「大人」の対応で
「ダメなとこ改善していこうぜ」という気持ちは表に出さない
方が世間一般的にはいい。でもこれはよくなる方向には
進んでいかない。悪い部分を見ないだけ。
太鼓の団体をやめた理由を思い出す。
「地元の人じゃないと疎外感がある」
これは自分もある程度あると思って覚悟していたが、
かなりひどかった。田舎体質の特性なのかな
「子供たちの育成も兼ねてる」
まったく思えない。自分の子供を単独で預ける事は
正直出来ない。飲酒、喫煙が黙認されていたりした。
「奥さんの関与」
自分のやっている事で、奥さんは関係ないにも関わらず
なんらかの形で協力させて、それをしないと仲間はずれ。
「子供としゃべるな」
自分の子供と一緒にやるという事が大前提で、しかも
一人ぼっちになっているので話しかけたりしていた。
どうもそれが気に入らなかったらしい。
あるイベントで自分が行けなくて子供だけで行かせたら
誰も相手にしてくれず、一人ぼっちだった。
「何でもいいから話せって言ってたので、向上する
為にこうしたらいい、ああしたらいいって言ったら、
それは言うべき事じゃないと・・・」
自分は誰よりも向上心があっていい事も悪い事も
何でも話が出来る。これが仲間であり、向上していく
物だと思っていた。ここでは本当の事を言ってはいけない
という事なんだろう。それが大人というものだ。
(二日間ある合宿を1日しか出なかったくせに、なんで
お前がそんな事言うんだという感じが嫌だった)
「あとになって、あの時こうだった、ああ言ったと責められる」
とにかくこれが嫌だった。「俺は歯に着せぬ言い方しか出来ない」
と言っていたのも驚いた(歯に着せぬのなら、なぜすぐに言わない
のか)
「大人なんだから」
これが一番嫌な言葉だ。これが全てにつながっている。

なんにしても自分が持っている「仲間意識」とはかけはなれて
いる。大人なんだから、上っ面だけ良く、余計な事はしゃべらず
向上心向上心とただ言ってるだけで本当の事は言わない。
だって大人なんだから。

実際の生活ってそんな建前が当たり前なんだけど、それって
本当の付き合いじゃない。うわべだけの付き合いは必要ない。
向上する為には議論も必要だし、衝突だってある。
誰が何をやっただの、あの時ああ言っただの、後から出てくる
事自体仲間なんかじゃない。

と思う事がらがあったので、書いてみた。