「四川の善人」

「劇団渡辺」のイメージとは違った公演だった。
主宰、演出家が同じならばそれは仕方ない
のでは?と思うかもしれないが、俺にとって
この事はかなり重要なんだ。
「劇団渡辺」と言えば、
発声の仕方、声の質、動き、体の切れ、
どれをとってもしっかりしていて、
とても俺や他の団体では見ることが出来ない、
真似する事が出来ない集団で、特に声の質に
関しては羨ましいとさえ思っていた。
相変わらず声質はいい。いつものひさ枝節
炸裂。堪能出来た。でも・・・、
方向転換って事かな?時代の流れで
あの形にならざるを得ないと言う事か。
仕方ないのか。仕方ないんだろうな。
こればっかりは残念な事にどんな劇団でも
起こる事で超歌劇団もそんな波は
形は違えど少なからずある。
そんな事を感じながら観ていた。
(こういった発言はきっと「敵」発言だね。
そう思われても仕方ないな。その点は
覚悟する。何にしても俺は、"野良"だし
嫌われて当然)


以前は他の劇団の方向性を、
「劇団の方針としてどうなの?」
「上がちゃんとしないといけなくない?」
って感じでいたが、最近になって
そうせざるを得ない、そこは関わらないを
理解出来るようになってきた。まあ実際
俺もその境遇に立たされる事が多々ある。
しかも最近。


元々自分でも頑張るが、
「あなたが頑張っているなら、俺も頑張る。
できれば同じ本数こなす。とても無理。
でも俺は目指す。俺はやるよ。なぜなら
俺はこっち側の人間じゃない。むしろ
そっち側の人間だから。」
それは今でも変わらない。